真似から始めよう

何かを習うとき、うまい人の真似をするということは上達の秘訣の一つです。ある一定以上の実力が備わった後は、自分なりの個性や、持ち味を発揮していくことが必要で、そういった個性は人の真似をしても身につくものではありません。しかし、習い始めは、誰でも人真似から始めるのです。何もわからないようなレベルで、自分だけの考えで始めてしまうと、独りよがりに陥ってしまい悪い癖がついてしまいます。

契約書翻訳にも同じことがいえます。文芸翻訳は表現の自由度も高く、訳す人の個性が反映されます。しかし、契約書翻訳は、一つの英文を何人かの翻訳者が訳した場合、かなり似通った訳文になります。それだけ、個性的な訳文よりも、均質な訳文が求められるということがいえます。それは、別の見方をすれば、見習うべき訳文が多く存在しているということです。日本語の契約書や、法令文、英文契約書に関する参考図書にある試訳などが参考になります。

契約書翻訳の場合、契約書らしい表現をする必要があります。普通の会話で使う口語体の表現を契約書で用いることはまずありません。契約書を翻訳するには、まず、契約書特有のやや堅い文体に慣れる必要があります。このような文体を真似することから始めてみましょう。「~するものとする」「~を問わず」「有する」「みなす」といった契約書や法令文に特有な表現を使えるようになれば、訳文が契約書らしくなってきます。

また、定型句のような表現もいくつかあります。「~に別段の定めのない限り」が代表的なものです。これを、「~に他に定められている場合を除いて」と訳しても意味として間違いではありません。しかし、どちらが契約書らしい表現かは一目瞭然でしょう。他にも「自己のためにすると同様の注意義務をもって」とか「上記の定めにかかわらず」といった表現があります。いずれも英文の意味さえつかめれば訳せますが、一般的によく使われている表現とするには、過去の用例を調べてこれを真似するしかありません。

皆さんの答案の中には、飯泉講師の『英文契約書の基礎知識』等を調べていれば分かるはずなのに、きちんと調べ切れていないという間違いを多く見かけます。これらの参考図書のなかには課題とよく似た表現があり、そのまま答えとして利用できる例文が多くあります。答えを見て、そのまま引用するのは抵抗があるのでしょうか。私は、そうは思いません。真似をすれば、よい訳文ができるのならば、これを利用しない手はありません。真似をするということは他人のよい訳文を調べるということです。これまでも何度もいってきたように、翻訳において最も重要なのは徹底的に調べることです。真似をするということは、「調べる」ことの一つなのです。他の分野と違い、契約書翻訳には答えがあります。その答えを知ろうとしなければ良い訳文はできません。まず、答えを真似ることから始めてください。
(執筆:吉野弘人)