以前から繰り返しいっていることですが、契約書翻訳にとって最も重要なことは「徹底的に調べること」です。もう何度もいい続けているので、またかと思う人がいるかもしれません。しかし、このことは分かっていてもできないことがあります。みなさんも「それなりに調べているつもりだけど、結果を見ると調べきれていなかったことに気がつく」と感じているかもしれません。では、なぜ徹底的に調べなかったのでしょうか。原因はいくつかあるでしょうが、そのうちの一つは、「わかったつもりになってしまった」ことではないでしょうか。わかったつもりになって、その先を調べることをやめてしまう。このことが「徹底的に調べること」を妨げる最大の原因だと思います。
言うまでもなく、何かを調べようと思うのは、その事実なり、意味を知らないからであり、知らないことを知りたいと思う欲求が「調べよう」という行動を促すのです。したがって、「知っている」ことに対しては「調べよう」という行動は起こりえません。この場合、本当に知っているのならそれでもよいのですが、実際には単に「知っているつもり」「わかっているつもり」になっていただけということがよくあります。また、同じようなことは、自分の考え(=訳)に自信を持ちすぎている場合にも起きます。人は、自分の考えが「間違いない」「完璧だ」と思った時点で、それ以上調べることをやめてしまいます。人が知っていると思ったとき、それは、決してすべてを知っているわけではなく、また、決して完璧ではありません。知っていると思っていること・完璧だと思っていることをもう一度調べると、意外な事実がわかり、それにより知識がさらに深まり、その幅が一層広がるのです。
では、「わかったつもりにならない」ためには、どうしたらよいのでしょうか。一つには、「謙虚であること」が必要です。これは、別のいい方をすると、「臆病である」ということでもあります。よい翻訳者は、みな臆病です。わかっていることも、もう一度再確認をする。その「臆病さ」「用心深さ」がよい翻訳をするために必要なのです。そして同時に、「好奇心」「探求心」を失わないということも重要です。中途半端なところで調べることをやめず、少しでも疑問に感じたことは、とことん調べることです。その用語なり、表現を自分自身の言葉で説明できるようになるまで調べる必要があります。「徹底的に調べる」とはそういうことをいっています。
今回のテーマは、私の経験からの話でもあり、自らに対する戒めの言葉でもあります。私自身いつも徹底的に調べているといい切れるだけの自信はありません。時間の許すかぎり、常に「本当にこの訳でいいのか」と問い掛けながら、訳していかなければならないと思っています。満足した時点で進歩は止まってしまいます。謙虚に、そして好奇心を失わず勉強を続けてください。皆さんの健闘を祈ります。
(執筆:吉野弘人)