米国法が歴史的に英国法に基づいていることは、よく知られていることですが、特許制度においても例外ではなく、英国からの移民と共に、英国法に基づく特許制度が形成されたと考えられています。米国での最初の特許法は、ジョージ・ワシントン大統領の署名により1790年に成立し、トーマス・ジェファーソンも特許庁長官を勤め、自ら特許出願書を審査し、特許権を付与したとのことです。米国における最初の特許は、1790年に炭酸カルシウムおよびその粉末の製法を発明したサミュエル・ホプキンスに付与されたのですが、この特許制度の創設以来、特許発明は多くの大企業の創立に寄与してきたと言えるでしょう。
当然のことながら、ヨーロッパにおける特許の歴史は、はるかに長く、紀元前500年に遡るともいわれています。ギリシャの植民地シバリスでは、新しい料理やすばらしい料理を生みだした優秀な料理人や菓子職人に対し、特権を与え、他の料理人や菓子職人が同じ料理を作ることを1年間禁じました。また、ローマでは、紀元前337年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスが錠前や馬車などを製造する職人や技師を特別に優遇し、市民の義務を免除しました。一般に特許制度は、ルネッサンス以降、イタリア北部における商業都市において、発明者に商業上の特権を与えたことに始まると言われていますが、このように社会に対する技術的、創造的貢献に特定の権利を認め、保護する考えは、紀元前に芽生えていたといえます。英国では15世紀には王室により職人に特許が与えられ、英国に住むことが奨励されました。英国その他のヨーロッパ諸国で、特許を付与することを王室や貴族が富を築く手段としたことも特許制度の発展に繋がったと言えるでしょう。
このようにして発展してきた特許ですが、トレードシークレット(特許で保護できない情報や特許されても侵害をつきとめるのが困難な情報の場合に、トレードシークレットとしてその情報が保護される。顧客リスト、製造技術、化学薬品の調合、構造式などの秘密情報がトレードシークレットとして保護されることが多い)と異なり、一般に公開を原則とするためその内容は誰でも知ることができますが、その実施にあたっては、特許権者の同意を得なければなりません。権利そのものの譲渡を受ける以外の方法として、ライセンス契約が締結されるのですが、このライセンス契約は、売買契約に比べ、支払方法や金額の取り決めも複雑となり、また技術的内容が含まれるために厄介なものが多いように思います。他人の知識や創作にお金を支払うという考えは、私たち日本人の生活にはまだ十分に根付いているとは言えないように思いますが、こうしたヨーロッパの歴史を考えると、パリのシャンゼリゼ通りで、あたりかまわずウィンドーにカメラを向けてはいけないと言われることも理解できますね。